【読書】桐島って何部か知ってる?【桐島、部活やめるってよ】
『桐島、部活やめるってよ』というと、みんな名前くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。映画化されたのでそれで耳にしたことがあるという人が多いと思う。私もその1人である。この本は朝井リョウの作品で、これも映画化された『何者』などの作者である。
さて、私はこの本を読む前、なんか高校を舞台にした物語なんだろうなとしか思っていなかったのだが、読んでみるとなんと高校でのカーストの話だった。そこにはキラキラした青春などは書かれておらず、高校の様々なポジションに位置する高校生の心理がそれぞれ細かく描写されていた。
私の勝手なイメージと実際の内容のあまりの違いに少し飛び出た目玉を押し戻して最後まで読み進めたところで私の目玉は完全に飛び出してしまった。
桐島出てこないやん。
そう桐島が出てこないのである。この作品は7人の生徒の視点がそれぞれ分かれて書かれているのだが、そこに桐島の名前こそ上がるものの実際には姿を現さないのである。いや、出るだろ普通。出てこいよ桐島。部活をやめると言った桐島がなんやかんや困難を乗り越えて部活を続ける、みたいな話であれよ、とベタなストーリーを考えてみるが朝井リョウはそんな話は書かないだろう。
しかし本当に細かく心理描写されている。私が高校生の頃、こんなにものを考えていただろうか。今では何も考えてなかったのではないかとさえ思う。おそらく何か悩んだり考えたりしていたはずだが今では全然思い出せない。もし当時から日記を書いていれば見返したり出来るし、一度日記に書いたことで思い出しやすくなるんだろうなと思う。そう考えるとこの日記を続けるモチベーションが少し上がる気がする。
話を本の方に戻そう。作中にこんなことが書かれている。
自分は誰より「上」で、誰より「下」で、っていうのは、クラスに入った瞬間になぜだか分かる。僕は絵映画部に入ったとき、武文を「同じ」だと感じた。そして僕らはまとめて「下」なのだと、誰に言われるでもなく察した。察しなければならないのだ。
当時からここまでハッキリと言葉にして意識はしていなかったが、自分にもこの感覚はあったと思う。確実に自分より「上」だと思う人もいたし、「下」だと思う人もいた。「上」の人は何もかも自分とは違っていて、制服なんかも同じものを着ているはずなのに明らかに自分よりカッコよく着こなしたりするのである。こんな風に「下」の人が「上」の人を見て思うことが描写されているパートもあれば、「上」の人が「下」の人を見て思うことが描写されているパートもある。「下」の人から見れば何一つ悩みなんてなさそうに過ごしている「上」の人にも悩みがあって様々なことを考えているのである。
この本を読めば、「自分も同じようなこと考えていた。」とか「あの人も実はこんなこと考えていたのかな。」なんて思うことがあるかもしれない。ただ、高校生の話なので嫌でも高校の時のことを思い出してしまう。たとえそれが楽しい思い出でもつらい思いでだとしても胸が少し苦しくなる。「クラス」という組織に所属して1日を過ごすことはもう二度と無いのだ。
ちなみに桐島はバレー部。
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