覆水盆にカレーライス

カレーは中辛 布団は羽毛

【映画】お金は間違いなく「力」だが、一番の「力」は結局パワー【ブラック・ウィドウ】

昨日の#55で書き忘れていたけどもう一ついいなと思ったことがあったので書きたいと思う。

 

 

映画『ブラック・ウィドウ』の内容について触れるので注意されたし。

 

 

ナターシャがレッドルームに乗り込んでレッドルームのボスであるドレイコフと会話をするシーン。ドレイコフは自分のやっていることややろうとしていることを饒舌に話す。こういう敵のボスなんかが主人公サイドに自分の計画を話すシーンというのは色んな作品であると思う。大抵の場合、主人公側は捕まっていたり、すでにボロボロにやられていたりするので、敵には余裕がある。しかし、なかには主人公サイドが元気な状態のものもあるような気がする。例が思いつかないのでちょっと分からないが。

 

今回の『ブラック・ウィドウ』はそのまさにパターンで、すぐ近くに戦闘力の高いタスクマスターがいるとはいえ、タスクマスターがナターシャに攻撃しようとするのをドレイコフは制止し、ナターシャのすぐそばで自分の計画について話している。

 

ドレイコフは明らかに闘えるタイプの人間ではない。いくらタスクマスターがいるとはいえこの距離ならタスクマスターが対処する前に攻撃できるのでは、と思ってしまう。

 

さらにこの後、ドレイコフは他の場所にいる侵入者の始末にタスクマスターを行かせてしまう。「ああ、アカンやろそれは」と私が思ったと同時にナターシャはドレイコフに銃を突きつける。「ほれ見たことか!」と私は思うが、ナターシャは銃を撃てない。ナイフに持ち替えて斬りかかるが、これも直前で動けなくなってしまう。

 

ドレイコフは「フェロモンロック」と説明した。彼のフェロモンを嗅いだものは彼に攻撃できなくなるというものだ。私は感心した。戦闘力のないタイプの敵ボスは大概強力な護衛を付けているイメージで、自分で自分の身を守れるタイプはあまり見たことがない気がする。まあ、作品を大した数見ていないので、私が知らないだけの可能性がかなり高いが、私の中では新鮮だった。

 

結局どれだけお金や技術力があっても、それで雇った護衛や作ったマシンは主人公たちによって倒され自分のところにやってくると思うと、自分自身が強いのが一番だと考えさせられる。

 

 

千里の道も一歩から、まずはスクワットから始めよう。いや、悪事を働く予定はこれっぽっちもないのだが。

 

 

#56