(韻)踏まれるの気持ちエエ
昨日(#148)のライブの余韻からいまだに抜け出せない。今日もamazarashiを聴きながらSNSで他の人のライブの感想などを眺めたりしていた。
するとこんなものを見つけた。
『amazarashi 秋田ひろむの歌詞における表現特性』(pdfファイルです)
論文になっとる。しかもつい最近、21卒の学生によって書かれていた。
筆者はまず序章でこう述べている。
ひどく心が疲れているとき、気が滅入っているとき、深い絶望を味わったときに頭に浮かび、聴きたくなる
やはり同じような考えを持つ人がいた。アーティストを、そしてその曲をどのように捉え、どのように聴くかはその人の自由だが、同じような考えで聴いてる人がいるとそれは嬉しい。
この論文ではamazarashiの曲の歌詞から出現頻度の多い単語を抽出したり、歌詞の構成について考察したりと、かなり本格的に研究されていた。
この論文の熱量にあてられ、私も少しだけ好きなところを語ってみようと思う。
・まずシンプルに曲がいい
amazarashiは特に歌詞にこだわって言葉を伝えることに重きを置いているアーティストだと思っているが、歌詞をちゃんと聴かなくても耳に残るメロディをしている。
耳に残りやすい理由として韻を踏みまくっていることが一つ挙げられる。韻を踏むと言うとラップのイメージが強いかもしれない。実際、ラップのように単語と単語の母音でしっかり韻を踏む歌詞も多いが、フレーズの最後の音を揃えるだけで聴いていて気持ちがよく、耳に残るものになる。
それが顕著なのが『スピードと摩擦』という曲。
切れかけた街灯に照らされて 明滅繰り返す人々の影
ゴムの匂いと空気の湿り気 静寂と呼ぶには、はなはだ多弁
したがって 定まらぬ視点 星を滑って 東北に流転
蛾が群がって どうせ無駄だって 夢に焼け落ちて あとは何もねえ
行き先のない乗車券 此岸の終わりの夕景
地球の裏の荒野へ 早く連れてってくれ
夏の庭に犬の骨 死屍累々の日付
それを踏んづけて明日へ 気管支炎の音符で
血を吐くまでは歌え 放射状 北の山背
そこに咲いた花でさえ 冒涜は許されて
これが1番の歌詞なのだがフレーズの終わりがすべて「e」の音になっている。2番でも同じように続きCメロ以外はすべてこうなっている。
他にも『夕日旅立ち』
夕立旅立ち 行く先に光
懐かしい夢達 未だに覚めないし
泣いたり凹んだり その度生き返り
新しいあんたに 再び日は射し
こちらはサビがすべて「i」で終わっている。
ただの日記にしては頑張りすぎている。まだまだ書きたいことはあるが今日はこの辺にしておく。ものすごく中途半端だが眠たいので仕方がない。また日記とは別にまとめてみるのも悪くないかもしれない。
#149